またもご無沙汰でした、伽乃です。
色々ありまして、立て込んでおりました。
本当に、単なるおさぼりではないのですよ? ちょっと暗い話になりますが、書いておきたいので書きますね。 去る12月4日22:24 私の最愛の母(祖母)が亡くなりました。 84歳でした。 実は私、生んでくれた母は生後11カ月の時に、胃がんで亡くしておりまして。 それ以降、母の母(祖母)が私の母親でした。 父は転勤族(公務員)なので、私が10歳の頃、初の単身赴任になりました。 私は変わらず祖母と祖父と叔父のいる家で生活していて。 18年間は毎日一緒に暮らしていたのですよ。 高校卒業後、私が専門学校に行くために札幌に出たわけですが、それでもお互い行ったり来たりして、一緒に旅行に出かけたりもしました。 3年前に祖父が胃がんで亡くなり。 そして、祖母も胃がんでした。 もうこれは避けられない運命なんだなーと思ってます。 私も胃がんになる確率の高いこと高いことww だって、みんな進行性の胃がんなんですもん。 いわゆるスキルス性胃がんってやつですね。 母(祖母)は何処もなんともないと言っていたのに、9月の旅行から帰宅後、吐血したと連絡があり、「救急車じゃん!」って言ったら「そんな大げさな~」と力なく行っていたのですが、案の定。 病院に行って検査したところ、即入院。 切らなければ、今月(10月)もつかどうか。切っても年を越せるかどうか。 と医者に言われておりました。 それでも、生きてほしいと、年齢的に手術が大変なのはわかっていましたが、手術を受けてもらい、胃は全摘。 その他の臓器にも転移が認められていたので、摘出できる場所は切除。 8時間にも及ぶ大手術を終え、麻酔が効いてるうちから痛みに苦しんでいて、当時は本当に手術が正しかったのか悩みましたが、徐々に元気も出て、リハビリも開始。 食事もとっていいことになっていたのですが、やはり胃がないということで、食事がかなりつらかったようでした。 そして、11月30日に退院。 ゆっくりと自宅療養が始まった矢先でした。 12月4日昼過ぎに、容態が急変したとの連絡。 胸水がたまっているから抜く処置をして、点滴で様子を見ていると聞いていたのですが、血圧が低いと。 もって数日から数週間だと。 すぐに母の姉と妹にも連絡。 頑張ってほしいねといって電話を切りました。 夜9時すぎ。 やはり血圧が低いし、意識レベルの低下がみられるから病院に行くと、従妹からの連絡。 その後、電話がかかってきたときには、母が他界した知らせでした。 物凄い勢いで心臓が鳴っていたのを覚えています。 手が震えていました。 それでも、知らせなきゃならない人たちがいたので、電話を掛けました。 母の姉と妹に。 さっきの今で信じられないと、ただただショックを受け。 とりあえず、連絡が来たらまたかけると伝え。 夜中に葬儀の大体の日程が決まったと連絡があったのでそれをまた連絡。 翌日は仕事に出て、その夜の夜行バスで帰省しました。 未だになんだかピンときてません。 ちゃんと葬儀も出したし、お骨も拾ったのに。 自分はちゃんと親孝行できたのかと、考えるばかりで。 まだまだしてあげたいこともたくさんあったのに。 親友にも連絡しました。 お兄ちゃんも訃報を知って泣いてくれました。 地元の親友は通夜にも来てくれて。 会ったことないけど、ツイッターで知り合ったフォロワーさんもたくさん心配してくれて。 母も私も幸せだなぁって思いました。 母の妹は東京から、天候が荒れるギリギリに直行便で到着。 母の姉は盛岡から、丸2日がかりでJRで到着して。 天気が荒れたので、函館で足止めを食って一泊。 その後札幌まで来たがJR動かず、ギリギリバスの夜行便で翌朝(告別式の朝)到着。 顔を見る事が出来ました。 最後に会わせてあげられてよかったなと思います。 さみしい年末になりましたが、私は一応元気です(苦笑) なるべく泣かずに見送ろうと思って頑張っているのに、姉と妹が泣くからつられてしまって;; でも、大泣きしたりはしませんでした。 未だに思い出すと危ないけど。 このブログをどんな方が読んでくださっているかわからないですが、もちろんリアルな友達もいるとも思いますけど、最後まで読んでいただいてありがとうございます。 みんな、本当に後悔しないように、元気なうちに親孝行沢山してあげてください。 これからは、父に親孝行しますよ! 故郷の家には私の部屋があるのですが、そこは残してくれるようなので、これからもちょくちょく顔を出しに行かねばな、と思っています。 次は四十九日に、母に会いに行ってきます。